カテゴリ:RichardBona



06日 5月 2016
今年は,5月5日が木曜日だったので,今日6日一日をこなすとまた週末という嬉しい設定です。午前中人権擁護委員会の正副委員長会議があったので弁護士会館へ向かう途中,横浜公園の脇を歩いていたのですが,(少しばかり埃っぽさはあるものものの,)蒸せ返るようなみどりの空気が漂ってきました。平日とはいっても,お休みの人が多いのか車もあまり通っていないせいなのか,いつも排気ガスの臭気がきつい市役所前のスクランブル交差点の辺りでも風はみどりのままで,いつもの見飽きた風景の中にいながら一瞬自然と触れ合えたような錯覚に囚われました。  この錯覚は,ちょうど聞いていたのが Richard Bona の Bonafied という2013年リリースの作品だったことにも影響されたかも知れません。  ボナの名前を最初に意識したのは,多分 SADAO 2000 という文字どおりミレニアムイヤーに出た渡辺貞夫さんのアルバムだったと思います。(今これを書くために,棚からCDを出してきてジャケットのクレジットを見てみたのですが,)ここでボナは,ベースを弾いているだけでなく,アコースティックギターや,ボーカルも担当し,楽曲も提供していて,サバンナの夜明けから日没までの時間の流れを音にしたようなこのアルバムから感じられるアフリカのイメージ作りに共同プロデューサーとして貢献しています。そして,このアルバムが凄いのは,ただ,アフリカっぽく感じられるというだけでなくて,音が何やら神秘的で精神的な領域に達していることが強く感じられる点です。  その原因が,何よりも貞夫さんの霊妙なアルトの響きにあることはもちろんですが,ボナの作り出す音像に依るところが大きいこともまた間違えありません。その証拠が Bonafied です。マルチプレーヤーで音楽性が高いなどというと,人はすぐそのテクニックばかりに目が奪われますし,実際,ボナに関するネットでの評判などを見ても,ジャコと比較するような類いのものがやたらと目に付きます。でも,Bonafied を聴けば一聴瞭然,出だしのまるで胡弓みたいな音が鳴った瞬間から,精妙で,無垢な精神性の勝った世界が出現し,およそ曲技的な要素は皆無です。英語ですら歌詞の意味はよく分からないことが多いところ,ここでは何語で歌っているのかすら分からないのに(出身のカメルーンの言語なんでしょうか。),アルバムのタイトル通り,誠実なボナの人柄だけはまっすぐに伝わってくるような気がしますし,むしろ,何を歌っているのかわからないことで,人智を超えた何者かに触れているような感じさえします。  数多の音の洪水の中で,ぼくは,いつからこんな音楽を愛するようになったんだろうなどとつい思ってしまいます。